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藤原ヒロシ×上野伸平対談後編「ストリートは終わらない」

1980年代——。今でこそ、「シュプリーム(SUPREME)」は大人気ブランドになったが、日本ではまだまだスケートボードがアンダーグラウンドなカルチャーだった時代。そんな初期のスケートボードにどっぷりハマった藤原ヒロシらによって、その後、アングラだったカルチャーが表舞台に押し上げられることになる。一方で、上野伸平はアングラから叩き上げのストリートスケーターの一人だ。このほど、虎ノ門にオープンしたスケートパーク「キューコン(QUCON)」の中心メンバーでもあり、藤原の携わる「モンクレール Tシャツ コピー ジーニアス(MONCLER GENIUS)」のプロモーションムービーも手掛けた。お互いを知っていながらしばらくは“一方通行”だったという2人が意気投合し、オープンニングには「フラグメント デザイン(FRAGMENT DESIGN)」とのコラボアイテムも並んだ。今回は、コピーではなく自分のオリジナルを発してきた新旧スケーターによる対談の後編。(前編はこちら)

optimize.webp (2)ヒロシさんは何歳からスケートボードを始めたんですか?

10歳ぐらいかな。

辞めた理由は?

辞めたって感覚もないんだけどね。ずっとスノーボードをしながら、たまにスケートもやってたり。辞めるっていう決意はしていないけど、やったら絶対ケガするなとか。

昔もこういったパークはあったんですか?

あまりなかったと思うよ。

NYの街で初めてスケートした日本人って藤原さんたちだって聞きましたよ?

optimize.webp (1)初めてかどうかはわからないけど、NY以外にもロンドンとか。日本人でスケートボードを持ってスケートショップとかに行くとちょっと変わって見られるというか、一緒に滑ろうという流れになる。そういうマイノリティーの楽しさみたいなのが80年代にはあったね。

今、そのマイノリティーはありますか?

もうないんじゃないかな?マイノリティーが存在しないから、もし彼らのアンダーグラウンドの世界でマイノリティーみたいなものが存在したら、それは美しいと思う。

上野:それももうなくなってきています。僕らの世代で最後じゃないですか?いい意味でも悪い意味でも広くなったんで……。

スケートブランドも一般的に広がりましたね。

上野:それってスケートカンパニーのカッコよさを、スケートを知らない人も体感しているということだと思うんです。スケートをしてなくても彼らの精神とかが伝わって。

ヒロシさんは最近のスケートシーンやストリートシーンを見てどう思いますか?

スケートはそんなに知らないんだよね。「T19」(1984年に設立したスケートボードチームで藤原も在籍していた。92年に日本初のデッキブランドをスタート)の大瀧(ひろし)君が亡くなって、最近はそのチームとも会ってないし、スケシン(スケートシング)やYOPPI(江川芳文)とかはよく誘ってくれたりするんだけど、結局あんまり行けてない。スケートボードってめっちゃかっこいいから今でもしょっちゅう見るんだけど、自分に置き換えるとこれ絶対ケガするなっていうか。軽く滑るだけだからって言っても、行ったら絶対なんかやっちゃって、捻挫とか骨折とかしそうなのが目に見えてる。

上野さんもケガしたりしますか?

上野:めっちゃしますよ。捻挫とかしょっちゅう。肩の骨が飛び出したりとか(笑)。

僕も若い頃はそれでも全然平気だったんだけど。

それでも続けるスケートボードの魅力ってなんでしょう?

上野:やっぱり快感じゃないですか?

うん、楽しい。メイク(技)したりだとか。0から始まって、わりと難しいからやりがいもある。

上野:スケボーが怖いという人には向いていないと思うけど、怖さの先に達成感がありますよね。大人になって道路で吹っ飛ぶくらいコケることってスケボーやってないとないですよ。

全然関係ないところでウィールが引っかかってこけたりね。痛い以上に恥ずかしい。

上野:特に一人のときとか(笑)。

ヒロシさんはキューコンにどういう面白さを感じたんでしょう?

場所的にも原宿や渋谷と違ってあんまり来ない場所だし、どういう人がここに来るのか楽しみ。かっこいいパークって遠くても行ったりするから、僕が若くてスケートボードをしていたら行っていたかな。

ではここがカルチャーを発信する場所になるかも知れませんね。

できたら面白いと思うけど、彼らにかかってる。ただ、スケートボードがそんなに新しいカルチャーでもないから。紆余曲折のあるカルチャーだし、流行ってダメになってダメになって流行って、の繰り返し。なおかつ今度オリンピックの競技にもなって、表向きには流行るけど、アンダーグラウンドはどうなるかな。流行った後は落とされるだろうし、マイケル・ジャクソンみたいなもんだよね(笑)。

上野さんは将来、スケートカルチャーをどうしていきたいですか?

上野:俺は本当にスケーターの環境整備がしたいんですよ。マジで滑れるところがないんで。どこで滑っていても警察や警備員が来るし……。かと言ってパークで滑りたいわけでもないんですけど。

そこがやっぱりギャップがあるところだよね。「スケートボードを街でやっちゃダメ。こんなにいいパークを作ったからここで滑ろ」って言われても「そんなところで滑りたいわけじゃない」っていう人たちが僕は好き。だからパークができたからもうストリートで滑れなくてもいいやって人には全然興味ない。街でダンスをやっている人たちはかっこいいと思うけど、授業でダンスをやっている人は好きじゃないし、そういう温度差がある。

上野:一番いいのは、基本的なスペックをパークで高めて、上手くなればストリートで滑る。上手くなれば2発とかでメイクできるからある意味、警備員が来る前に逃げられる。アメリカでは、マジでそういうスタイルなんです。パークもたくさんあるので、どんどん上手くなるし。それでもやっぱりストリートの魅力ってあるから、パークが増えてもストリートは無くならない。

ヒロシさんは今だにスケートのビデオとか観るんですか?

全然観るよ。一番観るかな。ストリートのものも競技っぽいのも。オリンピックのスケートボードもけなしているわけじゃなくて、それはそれですごいことをやっているからね。

何かオリンピックのスケートボードのことで依頼があるかも知れないですね。

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