1829年創業の英国最古のシューズブランド「トリッカーズ(TRICKER’S)」は国外初となる店舗を4月25日、東京・青山の骨董通りにオープンした。運営は「ジャラン スリウァヤ(JALAN SRIWIJAYA)」や「アイランドスリッパ(ISLAND SLIPPER)」などを手掛ける、靴の輸入代理店ジー・エム・ティー(GMT、横瀬秀明社長)が行う。単独店舗は、ロンドンのジャーミンストリート店に続く世界2店舗目となる。オープンに合わせて来日したマーティン・メイソン(Martin Mason)トリッカーズ最高経営責任者(CEO)に話を聞いた。
少し落ち着いたとはいえ、スニーカーのシェアは世界的に拡大しており、革靴、特にブーツは苦戦している。このタイミングで国外初のショップを日本に作る狙いは?
ランウエイでのスニーカーのトレンドは緩やかに落ち着き、今後トレンドは革靴に戻ってくると信じている。そのとき、“英国靴の聖地”と言われるノーザンプトンのモノ作りがとても重要になるはずだ。そして「トリッカーズ」はノーザンプトン最古のシューファクトリーだ。全ての靴が、その自社ファクトリーで生産される。成熟した日本のカスタマーには、「トリッカーズ」の靴から醸し出される歴史、ストーリー、モノ作りの哲学を理解していただいていると感じる。190周年を機に、もっとわれわれのことを知っていただければと思い、青山店のオープンに至った。
スニーカーを脅威とは感じていない?
全く別のビジネスだと思っている。スニーカーは機械で大量生産され、われわれの靴は手作業で生み出される。グッドイヤーウェルト製法による「トリッカーズ」の靴は、アウトソールを替えれば何十年も履くことができる。実際、今日私が履いている“ストウ”も10年以上物だ。英国の職人が、英国の素材を使って作るわれわれの靴はとてもサステイナブルだ。“サステイナブル”は今、最も重要なキーワードであり、少し値は張っても良質なものを選択して長く履く(着る)ムーブメントが定着しつつある。
ジャーミンストリートに初の直営店がオープンしたのは1937年。80年の間にたくさんのチャンスがあったと思うが、なぜ今2号店のオープンとなった?
まずは市況が大きく変化したことが挙げられる。伝統的シューズも、今やECでいつでも手軽に買える時代だ。だからこそ優れたタッチポイントが必要だ。英国人の多くは、いまだに「トリッカーズ」を“アウトドアシーンで履く靴”と認識している。一方、日本は30年前に「トリッカーズ」をファッションアイテムとして初めてピックアップしてくれた。その後、その流れは世界に広がった。日本にはとても感謝しているし、2号店オープンの場所に選ぶことは必然だった。もちろんGMTの協力も欠かせなかったし、190周年の節目というのも後押しした。今後は海外店舗戦略を加速させる。3号店はおそらく韓国、そのあとに米国や中国にも出店したい。
完成した青山店を見た感想は?
「素晴らしい!」のひと言だ。ジャーミンストリート店と見紛う完成度で、横瀬GMT社長がロンドンの店に足を運び、あちこち計測してくれた結果と言える。入り口の上のノーザンプトンの紋章とロイヤルワラント(英国王室御用達)の紋章は、ノーザンプトンの工房で作りシッピングした。フィッティングチェアも横瀬社長の求めに応じて、ジャーミンストリート店で使っていたものを譲った。きれいに修復してくれて、うれしい。忠実に1号店を再現しつつも、日本らしさもプラスしていて感嘆した。
「トリッカーズ」における日本のシェアについて聞きたい。
売り上げ1位は英国だが、それに続くのが日本市場だ。輸出の80%を占める。以下イタリア、米国、韓国と続く。
日欧EPAにより、靴も関税が漸次撤廃される。同時に、英国は合意なきEU離脱の可能性もある。「トリッカーズ」への影響は?
まず日欧EPAによる影響は、それほどないと考えている。EU離脱についても、“合意なき離脱”はあり得ないと信じている。時間はかかるかもしれないが、ゆっくりと問題は解決されるだろう。良識ある英国の経済人は皆、そう思っている。あくまで政治的な問題であり、経済的な問題とは別なので。
ずばり、ブーツが復権する秘策はある?
「トリッカーズ」については“まだ”だが、ブーツはすでに復調傾向にあると思う。イタリアでは“モールトン”や“ストウ”など、「トリッカーズ」を代表するカントリーブーツが売り上げを伸ばしている。特効薬はないが、上質なクラフツマンシップを提供し続けることで前進を続けたい。